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こころの糧に

*あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。
                    詩編55:23
*こんなに長い間、一緒にいるのに、
      まだわたしがわかっていないのか。  ヨハネ14:7
*わたしのことばに心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。
                      格言4:20
*おまえは自分の神との出会うそなえをせよ。  アモス4:12
*心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ちかえりなさい。
  みことばは、あなたのごく近くにあり、あなたの口と心にある。
                                   申命記30:10
         *神は悩みのうちにある者をささえ、倒れる者をすべて立たせて下さる。
             助けを求めるすべての人、心から祈る人のそばに神はおられる。
                                      詩編145:13
                               7月8日生まれのシスターOより


「イエスは、その人の手を取って村の外に連れていき、両方の目につばをつけ、それに両手を当ててから『何か見えるか』とお尋ねになった。すると彼は見えるようになり、『人が見えます。木のようですが歩いています』と言った。それからイエスが再び両手を両眼に当てられると、彼はよく見分けることができた。目はもとどおりになり、すべてのものがはっきりと見えるようになった。」                                     マルコ8:23-25   

シスタービルマ(2004年)の霊操の折、私の心にふれたみことばです。シスターは「間違う必要もあれば、間違われる必要もある」と言われました。そして「見えるようにしてくださいと祈るために」とつけ加えられました。聖霊は様々なことをとおして、自分のあやまりを知らせてくださいます。相手の方が正しいことを悟らせてくださいます。このようにして変えられつつある自分を、素直に認めることのできる恵みのみ言葉なのです。
 さて、私の生まれた日はS20年7月9日でした。その頃は空襲も激しくなり、母は押入れの中で出産しました。隣の堺市が大空襲に見舞われた夜でした。姉はその手記に二首歌を残しています「妹誕生 堺が炎と燃える夜 真赤な空をも知らずに眠る」「歩き出す 身重の母を 真中に父は足元だけ見よ と言う」後者の歌は3月13日、空襲を避けて逃げる母です。戦後の食糧難の時代に子どもを育てるのは大変だったことでしょう。このように育まれたいのちを大切にしたいと思います。
                     7月9日生まれのシスターSより


「わたしはある」というもの。          出エジプト記とヨハネ福音から


ここにすべてがある。
人は、あるというお方によってのみ、
「よしとして創られた。」「それは甚だよかった。」
「神に似せて創られた。」
「神によってあがなわれた。」
「神によって永遠の命を与えられた。」
これでよし!
この世は「ある」か「ない」かにあるのみ。
     ひ・と・り・ご・と
                          6月2日生まれのシスターFより

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」マルコ2:17


 プロテスタントの教会の教会学校に通っていた小学校の頃から、好きなみ言葉として、この箇所をあげていました。その時の私が、この言葉をきちんと理解していたとは思えませんが、この言葉を聞く度に感じていた安心感、温かさは、今でも思い出すことができます。今、自分の惨めさ、情けなさに失望して、自分にもイエスにも心を閉ざしてしまいそうになる時、このみ言葉が、わたしを救い出してくれます。    6月3日生まれのシスターHより


イエスは、シモン・ペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です。」と言った。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です。」と言った。三度目も「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」
                            ヨハネ21章15、16節


 ずいぶん前にどこかで、このみ言葉の「愛」ということについて聞いたことがある。日本語訳では同じ語がつかわれているが、原文では区別されていると。しかし、その時のことは他には何も覚えていない。
 最近ミサの中で、この箇所が朗読された。説教された方は「神の愛で愛することは、人間にはできない。それは無理だ。イエスは三度目には、言葉を変えて問われた」と。イエスに向き合っているペトロの姿が浮かんでくる。私の心は三度目には言葉を変えてペトロに問われたイエスに、強く打たれた。もしペトロと同じように私に問いかけたなら、イエスの限りなくやさしい圧倒的な愛にたじろぎながら、小さな声でペトロと同じように答えるだろうか。
                        5月15日生れのシスターSより


「主が あなたを祝福し、あなたを守られるように。
 主が み顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。
 主が み顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。」民数記


この聖書のみ言葉は、毎年神の母を祝う1月1日に読まれます。
人々のために祝福を祈るものでありたいとの思いを込めて、
このみ言葉を選びました。
           4月7日生まれのシスターTより


「世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」マタイ28:20
「あなたは存在しないかのようにすべてをキリストに委ねなさい。
 そして、キリストは存在しないかのように、
        あらゆることに自分のベストを尽くしなさい。」


キリストがいつも一緒にいてくださる、という思いは、嬉しい時、楽しい時、幸せを感じる時には、
主への感謝になりますし、苦しい時、難しさを感じている時には、励ましとなっています。
   もう一つの言葉は、聖書の言葉ではありませんが、どんな時にもどんなことでも、
   私がイニシャティブをとるのではなく、キリストの手の中にあることを感じさせますし、
   同時に私に委ねられた部分は、一生懸命にしなければ、と感じさせてくれます。
                             4月11日生まれのシスターKより



「私の希望 キリストは復活し、ガリレアに行き 待っておられる。
   共にたたえ 告げ知らせよう 
          主キリストは復活された。
  勝利の王 キリストよ、いつくしみを 私たちに。
                     アーメン、アレルヤ!」
                  典礼聖歌集351番「復活の続唱」から


 主の復活について、四人の福音史家がそれぞれ最後の章で語っていますが、それを簡潔なことばで宣言し、生きと生き歌い上げる「復活の続唱」に、毎年新たな感動を覚えます。これは使徒たちのあかし、母なる教会の信仰の遺産、そして私の信仰のよりどころだと思っています。
 「復活の続唱」は、第二バチカン公会議までは、グレゴリオ聖歌としてのラテン語で世界中のカトリック教会で歌い継がれてきたもので、よみがえられたキリストを祝う教会の豊かな伝統を感じさせる忘れられない聖歌です。 公会議後の刷新で、ラテン語の歌詞を日本語に訳し、美しい曲をつけてくださった典礼委員会の方々、特に高田三郎先生に感謝しています。
「マリアよ、私たちに告げよ。あなたが道で見たことを…」物覚えの悪い私ですが、この「復活の続唱」だけは全部心に刻まれていて、ひとりで味わい、感動し、イエス様への信仰と愛を新たにする復活のシーズンです。              4月16日生まれのシスターNより

 


「渇いている人はだれでも私のところに来て飲みなさい。」
                     ヨハネ7:37

生きている日々の種々に渇きをを反省し、
イエス様の生きた「水」をいただき、
いきいきとよろこびで満たされる。
感謝と信仰の喜びの日々を生きている。
    4月24日生まれのシスターIより


主は彼を荒れた地で、荒れ野のおそろしい孤独の地で実つけ、
身に抱き、世話をされ、ご自分のひとみのように大切にされた。
 巣を守る鷲のように 雛の上に翼を広げる鷲のように
 翼を広げ彼をだきあげ、ご自分のつばさで運んだ。
彼を導いたものは主だけであった。
ほかの神はひとりもいなかった。       (申命記より)


主を悲しませる悪さをいっぱいしてきた。
それでも私は、今主の家にいる。
主が抱き上げ、ここに運んで下さったからこそである。
ありがとうイエスさま。
あなたから離れることがないように・・・
未熟な私の言動でだれかを不利な立場におくことのないように
イエスさまの愛で満たされていたい。
今年最後の若き60代!!
主とともにこの一日を歩みたい。        3月2日生れのシスターKより


マグダラのマリアは弟子たちのところに行って「私は主を見ました」と告げ、
また主から言われたことを伝えた。
           (ヨハネ20:18)

主の復活を体験したマリアに心が躍ります。
      3月10日生まれのシスターMより





エリアは神に会うために山に立っていた。初めに嵐が起きたが、神は嵐の中におられなかった。
次に地震か起きたが、神はそこにもおられなかった。
続いて火が起こったが、神はそこにもおられなかった。
最後に、とてもやさしくかすかな風のそよぎとも、ささやく声とも言えるものが聞こえた。
エリヤはこれを感じると、すぐに顔を覆った。神がおられると分かったので。
                            (列王記上19:11ー13)


神様の声は風のそよぎともささやく声とも言えるような、
とても小さいかすかなやさしい声です。
その声を毎日の生活の中で聞けたらいいのにと思います。
              3月14日生れのシスターJより





主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。
どこに行けばあなたの霊から離れることができよう。
暁の翼を駆って海のかなたにいきつこうとも あなたはそこにいまし、
御手を持ってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる。(詩編139)



主がくださった74年をふり返り、
この詩編の実感と感謝を更に深めました。
どんなときにも、どこにいても、
いつもともにいて助け導いてくださった主に
心から感謝!
     3月15日生れのシスターAより