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こころの糧に

今週と来週は、幼稚園でそして学園でクリスマス会が行われます。毎日、修道院の隣にある愛徳幼稚園からはハンドベルの音色が聞こえています。子どもたちと一緒に一足先にイエス様のご降誕をお祝いしたいと思います。以前、カトリックの雑誌で読んだお話を紹介します。


ある村では、毎年クリスマスに、
村の子ども達が、2000年前の世界で最初のクリスマスの降誕劇をして、
お祝いしていました。
その劇の中で、一人の知的障害を持っている子がいました。
短いセリフさえ覚えられない子でした。
その子の役は、もうすぐ赤ちゃんが生まれそうなマリア様を連れて、
宿屋を探しに来たヨセフ様に
「うちはもう満員で、お泊めすることはできません。
おとなりで聞いてください。」
というセリフを言う宿屋の主人の役です。
何度も何度も練習し、
ついにその子は、セリフを覚えたのです。

そしていよいよ当日がやってまいりました。
村の人々も、またその子の両親も、かたずをのんで見ている中を、
大きなお腹をしたマリア様を連れ、ヨセフ様が来て戸をたたいて言いました。
「今晩ひと晩泊めてください。」
すると、その子は
「うちはもう満員で、お泊めすることはできません。
おとなりで聞いてください。」と、
練習したセリフを間違いなく言うことができたのです。
ところが、その言葉を聞いて、
ヨセフ様とマリア様がさびしそうにそこを去ろうとしたとき、
その子は急に走り出し、マリア様にしがみついて泣きながら叫びました。
「どこにも行かないで!僕の家にお泊まりください!」
そう言って泣きじゃくるのでした。

それは、もう脚本どおりの劇ではなくなりました。
しかし、その日、この劇を見ていた村人達も、その子の両親も、
共に涙を流しながら、本当のクリスマスをお祝いしたのでした。

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。
その日が来れば
エッサイの根はすべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。
                      イザヤの預言 11:1-2,10


明日12月1日から、クリスマスを迎える待降節に入ります。
すべての人々そして国々に平和を望まれる神様が御子をこの世にお遣わしになられます。
クリスマスには、幼子となって到来された神の子イエスを、愛と喜びをもって迎えたいものです。
巷の賑わいもクリスマスの喜びを人々に与えますが、本当の喜びは静けさの中にあるのかもしれません。心を整えてクリスマスを迎えてみませんか?

すべての人に美しさがあります。
生まれもってきた美しさです。
その美しさは人とは比べられないものです。

人と比べられるものは、
いずれ、時とともに朽ち果ててしまうものです。

あなたには、
計り知れないほどの美しさがある。
時とともに朽ち果てることのないものです。
それは魂の美しさです。

魂の美しさは目にみえません。
けれども、まわりの人は感じるのです。
その崇高な美しさに感じ入るのです。

魂の美しさを磨きましょう。
魂の美しさは朽ち果てることがありません。

中井 俊己  『幸せを見つける魔法の言葉』より



全能の神よ、
あなたは、宇宙全体の中に、
そしてあなたの被造物のうちでもっとも小さいものの中におられます。
あなたは、存在するすべてのものを
ご自分の優しさで包んでくださいます。
いのちと美とを守れるよう
あなたの愛の力をわたしたちに注いでください。
だれも傷つけることなく、兄弟姉妹として生きるために、
わたしたちを平和で満たしてください。

(教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ―ともに暮らす家を大切に』より 抜粋)


つまづいたおかげで

つまづいたり ころんだり したおかげで
物事を深く考えるようになりました

あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを 暖かい眼で
見られるようになりました

何回も追いつめられたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました

だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました
そして・・・
身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いま ここに
生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました

人のいのちの尊さを
骨身にしみて 味わったおかげで
人のいのちを ほんとうに大切にする
ほんものの人間に裸で逢うことができました

一人の ほんものの人間に
めぐり逢えたおかげで
それが 縁となり
次々に 沢山のよい人たちに
めぐり逢うことができました

だから わたしの まわりにいる人たちは
みんな よい人ばかりなんです

相田 みつを  『にんげんだもの』より


いろいろな出来事を体験し、今も体験していますが、神様は私がすっかり落胆してしまわないように、何らかの力を私に与え、いつもお世話してくださることを毎日、感じています。
そうです、私の娘よ、
十字架の道において、それを全部担われるのはイエスだとわかります。
さあ、前進いたしましょう!

                                書簡より