こころの糧に
2021年06月09日
癒しの必要な時代に 3

ホアキナは、未亡人になって二年後、偶然カプチン会のエステバン神父に出会います。
神父様は、ホアキナを一見して、教会が必要としている人だと見抜きます。
そして、ホアキナが、神様のお望みにはっきりと気付くように同伴しました。
この歩みの中で、神父様はホアキナに病院や社会の底辺の有様をつぶさに見るようにと促しました。
ホアキナは、イエス・キリストを愛し、キリストと共に、父である神のみ旨を行うことだけを望んでいる女性でした。
幼いころから持っていた神の促しに対する素直さに加え、妻・母・そして未亡人となったことによって、成熟と繊細な感受性が備わったホアキナは、病院においても人々の必要に気づきやさしく広い心で応え奉仕する姿が輝いていました。
ホアキナのこの奉仕の姿勢は、
人は皆おん父の子ども
という確信の顕れのようでした。
つづく・・・
2021年06月02日
癒しの必要な時代に 2

現在日本で、私たちの会が営んでいるのは、小・中・高校の教育施設だけですが、創立者を促した聖霊は私たちを招き続け、様々な場に遣わしてくださいます。
病人、高齢者、少年院訪問
知的障がい者、滞日外国人の同伴
臨床パストラルケア
いのちの電話・・・
などへと

ところで現代は、私たちのごく身近に病んでいる方々がおられるように思います。
自分の癖が強調されたり、認知のずれが生じて周囲の人々と歩みにくくなった高齢者と日常的に接している方は少なくないでしょう。
また「心の病」を宣言して、それを自分の個性として受け入れ、周囲のほんの少しの理解を求めながら社会の中で生きている方々にもよく会います。
癒しを必要としているこの時代の中で
今こそ ご一緒に
ホアキナの霊性を
受け継いで
生きたいと思います。
つづく・・・
2021年05月26日
癒しの必要な時代に 1

愛徳カルメル修道会は、教会から承認をいただいた会憲を持っています。会員をひとつに結ぶこの会憲を大切にして、私たちは奉献生活を送っています。
その会憲に、「私たちは、創立者の持たれた体験に従ってイエスを示す」とあります。
創立者聖女ホアキナが、すべてを超えて倣いたいと望んだイエス様のお姿とは、どんな姿なのでしょうか?

それは、
自らを無とされ
おん父の救いの計画に従われた姿
人々に真理を教えられた姿
あらゆる痛みを癒すために
人となられた神の姿
です。

そのイエスのお姿を映すかのように、ホアキナは聖霊の助けによって、特に貧しい兄弟姉妹のキリスト教教育、病人看護を通して神に生涯を捧げました。
そして、シスターたちにも、必要に迫られている人々に近づき、その必要に応えてほしいと望みました。
つづく・・・
2021年05月15日
喜び 最終章

このHPをご覧になっているあなた、心の奥に問いかけてみましょう。
「私、喜んでいる?」と。
もし、喜びを感じていない自分に出会ったら、何をおいても
神様の胸に帰りましょう。

それは、教会の沈黙ですか、
ミサの中で裂かれるパンに、「私のために死んでもいい」
と思っていてくださるイエス様と出会うことでしょうか。
大自然の中を散歩し、神様の息吹をいただくことでしょうか。
様々な仕方で神様の愛に浸ってみましょう!
ホアキナは
「神の栄光と隣人の善のために働く」ことを望み、
愛徳カルメル会を創立しました。
神様の最大の栄光は、精一杯生きている人間なのです。
ご一緒に、ありのままの「自分」で生き生き、のびのび
生きていきましょう。喜びのうちに。
私たちはみじめな者です。でも同時に主は
私たちに多くのことを望んでおられます。
みじめさ以外の何ものでもない私たち被造物に、
もし何かよいものがあるなら、
それは神様からのものであり、
それによって神様が偉大な力を輝かされることを考えましょう。 (No.142)
2021年05月13日
喜び 3

ホアキナの思いは、 残っている書簡から
よく読み取ることができますが、手紙だけではなく
当時一緒に過ごした人々の証言からも伝えられています。
「マドレは、時々大いに満足して涙を流すほどお笑いになりました」
というものもありました。
そしてこの雰囲気は21世紀の今も
愛徳カルメル会に受け継がれています。
さて、ホアキナは真実な生き方こそが、本当の喜びを
保証してくれると確信していました。
どんな私であっても神様はこの私を愛し続けてくださっているのです。
だからホアキナは「自分自身であるように」と勧めます。
そして例えば「人を喜ばせるためであっても自分を偽るのは、
自分自身をも傷つけることになるのだ」と教えます。

「ありのままの人間であるよう努めること」が
ホアキナ・デ・ベドゥルナ共同体の目標です。
続く・・・