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こころの糧に

永井隆博士の言葉

永井隆博士は医学博士であり、厚い信仰心を持つカトリック信徒です。長崎の原爆によって愛妻を失くし、ご自身も被爆されました。平和と隣人愛を訴えたメッセージがたくさん残っています。


「如己愛人」 にょこあいじん

永井隆記念館の玄関に掲げられている句で、
“汝の近きものを己の如く愛すべし”の意味。
         (聖書:マルコ12章31節)より


「本当の平和をもたらすのは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による」

                                 『いとし子よ』より

「人はそれぞれ、完全円満なものではないから、お互いに、誤りをしでかしたり、考えの違うことはありがちです。それをお互いにゆるすことが平和の基です。〈中略〉相手を憎む心が起こったら、もう自分も平和を願う権利を失ったものとなります。相手を愛し、相手のために犠牲をささげて祈りましょう。それが平和を保つ、いちばん手がたい方法と思います」 
                            
                    『如己堂随筆』より


多くのことを綴ってまいりました。
これを読んでくださった方々に、聖女ホアキナを導かれた同じ聖霊が豊かに働いてくださることを信じます。

私たちが、私たちをよくお世話してくださる神さまの愛を、ホアキナのようにたっぷりと感じられますように。

その神様の愛に動かされて、心の底から、すべての人の平和と希望を願えますように。

そして、一人ひとりを抱擁し、関心を抱くことができますように。



また、何よりも接する人に、イエス様を観るという心の目が曇ることがありませんように。

祈りつつ歩んでいきましょう。


「わたしが病気だったときに見舞ってくれた。」

「愛だけが永続するものを照らす。ただ愛だけがいのちを失ったものを再び燃え立たせ得る。」


ホアキナは、神への愛が高まるほどに、人々への愛も大きくなっていったようでした。けれども、すべての人と接することなどできません。そこでホアキナは、よく手紙を出していました。すべての人に、平和と希望を与えるように。


1826年の修道会創立時9名だったシスターは、ホアキナの存命中150名ほどになり、27の共同体に分かれて神と人々への奉仕に生きていました。車もない当時でしたが、ホアキナは、共同体を訪問しては、シスターたちを愛を込めて抱き、一人ひとりに関心を寄せ、どんなことがあったかを聴き、ホアキナ自身も体験を分かち合いました。


「帰った翌日に雪が降り、風邪をひいて数日間、床に着きました。
これは私の弱さ以外の何ものでもありません。神様の愛の燃えている心を持っていたら、
寒さはそれほど中にまで入り込まなかったでしょう。(書簡95)」

というホアキナの手紙が残されています。ご自身にはとても厳しい方でしたが、シスターたちには、一人ひとり健康を気づかう母でした。


「あなた方皆のために、心身の健康を主に祈っています。(書簡114)

 あなた方の健康を天に向かって祈っています。(書簡57)

 あなた方皆に、健康をお与えくださいますように。
                健康、そうです。体と霊魂の健康を。(書簡74)」

と度々手紙に記しています。今も私たちに健やかな心身をと、ホアキナが愛を持って祈ってくださっていることでしょう。


                                つづく・・・


修道会創立後、ホアキナは、自らの体験に基づいてシスターたちに語りました。

「病人への奉仕は、イエスの愛の延長でなければなりません。
病を分かち合い苦しみを共にする時、主が現におられることを感じ、苦しみを和らげます。
病人たちに、敬意をもって近づきましょう。」と。



創立者の奉仕の姿勢を、最初のシスターたちは誠実に生きていました。
そのため、多くの地域からベドゥルナのシスターに来てほしいと言われました。
それは、倒れかけた病院であったり、
物乞い、高齢者、障がい者を年間2万人も収容する施設だったりもしました。
それでも、シスターたちは喜んで派遣されました。


困難は沢山あっても
主のお望みを行う時、そのために必要なものは主がくださる
と信頼するホアキナが、

「何でもおできになる神様に心を開き、神の望まれることにとりかかりましょう。」と

言えば、シスターたちは「できる」と思えたのでした。


つづく・・・



人となられたイエスは、
旅人を癒す良きサマリア人である一方で、
ひどい扱いを受け、
さげすみの目で見られる旅人でもありました。
そのイエスの人性の延長を、私たちは皆生きています。

ですからホアキナも、進んで病院の夜勤を願い出て、一人で任されると、
入ることを禁止されていた皮膚病の兵士の病棟に行きました。
今こそイエスがされたようにその人たちと接すべき時だという促しがあったのでしょう。



また病人の中に、売春婦がいると聞くと駆けつけ、神の愛と人の愛を語りました。

少年院訪問では、難しい子どもの傍らに行かせてもらい、
馬鹿にされ、ひどい扱いを受けることもありました。
これこそイエスの体験を辿るものでした。

しかし、ホアキナの話、世話、食事の中には愛があったので、
「恐れないで、神様はお父さんですよ。」と言うと、
皆が信じ安心したと言われています。

接する人々と、兄弟姉妹のように心が通いあうとは何と幸いなことでしょう。

                                  

                                 つづく・・・