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ベドゥルナの養成

私たちは、創立者聖女ホアキナが、本会に残した特徴

 福音的貧しさ
 祈り
 愛徳

を大切にしながら、よりよい奉献を目指して、
回心の道、養成の道を生涯歩み続けます。

私たちにいのちを与え、
私たちの歴史の只中にいてくださる主に聴き入り、
現代社会の中で、主の道を生きます。
今は第26回総会議の提案

「小さく貧しいことを知る謙虚さと生き方を変える大胆さを持って、
いのちを告げ知らせ、擁護する」

に応答するよう促されています。


愛徳カルメル修道会 日本の歩み

当時のシスターです。 現在1名が日本におります。

当時のシスターです。 現在1名が日本におります。

東洋への宣教の望みを持った 愛徳カルメル会は、6名のシスターを選び、1948年、マドリードから派遣しました。上海に降り中国での宣教を望んでいましたが、中国の政治的事情で叶わなくなりました。

識別の末、日本へ向かうことになりました。マニラを通り、ついに1949年6月17日、愛徳カルメル会のシスターが初めて日本の地を踏んだのでした。

1950年神戸市垂水に修道院を創立しました。
1951年には、幼稚園を開き、
1954年以降、小学校、中学校、
高等学校を開設していきました。
修道院も、大阪、鳥取、東京などにでき、宣教に勤しんできました。

現在、宣教の場は学校にとどまらず、滞日外国人、移住者、路上生活者、少年院入所者、苦しむ方々と交わらせていただきながら、神様の御用を果たそうとしています。




ホアキナ・デ・ベドゥルナという女性

「神の栄光と隣人の善のために働くことを願って」と書かれている

「神の栄光と隣人の善のために働くことを願って」と書かれている

“マンソ・エスコリアル”という名で知られていた、ビックの自分の家でこの修道会を創立した時、ホアキナ・デ・ベドゥルナは43歳でした。


ホアキナは1783年4月16日、スペインのバルセロナで、街の知識階級に属していた、真にキリスト教的な家庭に生まれました。8人兄弟の5番目で、この家庭環境が当時大部分の女性が近づくことのできなかった教育を、ホアキナに提供したのです。これは未来の創立者にとって、決定的なことでした。幼い時から宗教的欲求を持ってはいたのですが、明らかな神の意志として、家族の友人であったビックの若き弁護士、テオドロ・デ・マスと結婚しました。


バルセロナ、ピノの教会

バルセロナ、ピノの教会

2人は緊密な夫婦の愛を体験し、9人の子どもたちの親となりました。2人はまた、苦悩の時、スペインとナポレオン統治下のフランスとの戦いの悲しみをも分かち合ったのです。2人は離別、国外追放、貧困、そして、死を体験しました。戦争の後でテオドロは病気になり、若死にしたのです。ホアキナが33歳の時でした。


ホアキナの洗礼盤

ホアキナの洗礼盤

若き未亡人はビックのマンソ・エスコリアルに引っ越し、生存していた6人の子どもたちの教育に専念しました。また、家族を支えるために力をつくし、街の貧しい人たちの病院で病人に寄り添い、その世話をしました。


創立者

予期しなかった摂理的な方法で、ホアキナはカプチン会のエステバン・デ・オロット師と知り合いました。この人はカタルーニャの田園地方を巡って、その司牧活動から人々が貧しく、打ち捨てられ、苦しんでいること、そして、その人たちに援助の手を差し伸べる、何か定着した組織が急務であることをよく知っていました。人々を無知から救いだし、自らを解放し、進歩させる援助とチャンス。

ホアキナ・デ・ベドゥルナの感受性と成熟、エステバン・デ・オロット師の焦慮と司牧経験が出会い、その必要に応える使徒的で開かれた新しい修道会の創立計画が持ち上がったのです。


修道者の娘たち

修道者の娘たち

計画が熟していく一方、ホアキナの子どもたちは成長し、上の3人は生路を選定しました。下の3人は母親と、すでに結婚していた長兄とが分けもつ世話に委ねられました。創立への道が開けました、

1825年の暮れ、ホアキナはビックの司教に創立の計画に着手するため、公式の許可を願い出ました。そして、1826年2月26日、修道会は動きだしました。


その後の歴史

少しの間にホアキナの共同体の活動は、当時のカタルーニャの田園地帯に広まりました。
シスターたちの福音的な単純さ、人々と親しく交わること、その自己放棄、そして、女性教育、
保健医療、社会活動の分野でもっとも貧しい人によく奉仕することなどは信じがたいことで、
多くのところから望まれたのです。

1854年8月28日、ホアキナが71歳で亡くなったときには、
しっかりした27の共同体と、150名のシスターたちが残されました。

最初のシスターたちの後にはまた他の世紀が続き、修道会の歴史はホアキナと共に生まれ出た計画に加わっていった人たちの体験や、貢献によって、豊かなものとなりました。ホアキナが夢見たように、小さなからし種は今、“あらゆるところからやってくる人を迎える”生い茂った樹木、福音に仕える新たないのちの空間となりました。


マンソエスコリアル聖堂の遺骸

マンソエスコリアル聖堂の遺骸

1940年5月19日、ピオ12世は創立者を列福し、1959年4月12日、ヨハネ23世によって列聖されました。聖ホアキナ・デ・ベドゥルナの遺骸は、ビック、マンソ・エスコリアルの聖堂で崇敬されています。