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修道院の夏

 毎年、神様からの大きいプレゼントである霊操に15名は上石神井の黙想の家で、他の20名は売布の御受難会女子修道院で与りました。主のいつくしみのみ心のご計画の恵みを頂いて、この一日の命を一層有難く,よく生きたいと思います。
 学校の耐震工事も終わりに近づき、もうすぐ第2学期が始まります。この夏、高校野球、リオで行われたオリンピックなどに若い力の躍動のあふれをみました。一方私達の周囲には高齢社会、家庭に恵まれない子供たち、障害者との交わり、国の経済政策面についおいて全く不明瞭な動向、等、等、複雑で解決困難な問題が続きます。国外にも痛ましい難民、移民のこと、テロ、銃の暴発事件などのニュースがあります。
 今日の福音(ルカ4)では “イエスが、連れて来られた苦しむ病人たち一人ひとりに手を置いて,癒された”とあります。連れて来た家族、友人も、癒された病人たちも、どんなに嬉しかったことでしょう。
「私達は悪に逆らうキリストの思いを抱いています」コリント10-16という言葉も心に響きます。

    夜の静けさの中に秋の虫の音が聞こえます。
    夏の終わりを告げる“つくつくぼうし”の声も聞こえます。
    修道院の食堂には畑でとれたかぼちゃがならんでいます。
    庭にはヒヨドリや雀の家族が毎日水飲みにやってきます。
             朝夕、秋の気配が感じられます。     皆様どうぞお元気で。  
                              



                           本部共同体


8月生まれのシスターから

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの身を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、私のいる所に、わたしの使える者もいることになる。」
              (ヨハネ12:24から26)

 初めて教会を訪れ(今から45年前)聖堂に足を踏み入れ、「ここには本当の神様がいる」と確信した時、出会ったみことばです。その時はまだ聖書も持っていなかったので、どのように出会ったかは思い出せません。みことばの意味も解らなかったのですが、何か大切な言葉だと思い、すぐに聖母の聖絵の裏に書き写して今まで大切に持っています。わたしの人生に同伴し、いつもイエスへと導き招いてくれたみことばです。       8月6日生まれのシスターUより



   「イエスはこの上なく愛された」

「イエスはこの世にいる弟子たちをこの上なく愛し抜かれた」
                     (ヨハネ13:1)

 最近、このイエスのことばが心に響いてきます。
「主はこの世にいる私たちを、そして私をこの上なく愛してくださっている」
 この上なく愛してくださるイエスがいる。これ以上愛せないほどに神様は私たち一人一人を愛してくださる。それは十字架のイエス様。小さなパンの中に隠れ、私たちの心に来てくださるイエス様。この上なく私を愛するために、今日も私のもとに来てくださるイエス様との出会いの時を頂く。なんと大きな慰め、喜び、そして生きる力を得ることでしょう!毎日、どんな大きな嵐が心にすきすさんで来ても、このことばによって、平和な心に変えていただいています。感謝の心で今日も精一杯生きる喜びに心が満たされるのです!   8月14日生まれのシスターSより


7月生まれのシスターの分かち合い

*あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。
                    詩編55:23
*こんなに長い間、一緒にいるのに、
      まだわたしがわかっていないのか。  ヨハネ14:7
*わたしのことばに心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。
                      格言4:20
*おまえは自分の神との出会うそなえをせよ。  アモス4:12
*心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ちかえりなさい。
  みことばは、あなたのごく近くにあり、あなたの口と心にある。
                                   申命記30:10
         *神は悩みのうちにある者をささえ、倒れる者をすべて立たせて下さる。
             助けを求めるすべての人、心から祈る人のそばに神はおられる。
                                      詩編145:13
                               7月8日生まれのシスターOより


「イエスは、その人の手を取って村の外に連れていき、両方の目につばをつけ、それに両手を当ててから『何か見えるか』とお尋ねになった。すると彼は見えるようになり、『人が見えます。木のようですが歩いています』と言った。それからイエスが再び両手を両眼に当てられると、彼はよく見分けることができた。目はもとどおりになり、すべてのものがはっきりと見えるようになった。」                                     マルコ8:23-25   

シスタービルマ(2004年)の霊操の折、私の心にふれたみことばです。シスターは「間違う必要もあれば、間違われる必要もある」と言われました。そして「見えるようにしてくださいと祈るために」とつけ加えられました。聖霊は様々なことをとおして、自分のあやまりを知らせてくださいます。相手の方が正しいことを悟らせてくださいます。このようにして変えられつつある自分を、素直に認めることのできる恵みのみ言葉なのです。
 さて、私の生まれた日はS20年7月9日でした。その頃は空襲も激しくなり、母は押入れの中で出産しました。隣の堺市が大空襲に見舞われた夜でした。姉はその手記に二首歌を残しています「妹誕生 堺が炎と燃える夜 真赤な空をも知らずに眠る」「歩き出す 身重の母を 真中に父は足元だけ見よ と言う」後者の歌は3月13日、空襲を避けて逃げる母です。戦後の食糧難の時代に子どもを育てるのは大変だったことでしょう。このように育まれたいのちを大切にしたいと思います。
                     7月9日生まれのシスターSより


6月生まれのシスターから

「わたしはある」というもの。          出エジプト記とヨハネ福音から


ここにすべてがある。
人は、あるというお方によってのみ、
「よしとして創られた。」「それは甚だよかった。」
「神に似せて創られた。」
「神によってあがなわれた。」
「神によって永遠の命を与えられた。」
これでよし!
この世は「ある」か「ない」かにあるのみ。
     ひ・と・り・ご・と
                          6月2日生まれのシスターFより

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」マルコ2:17


 プロテスタントの教会の教会学校に通っていた小学校の頃から、好きなみ言葉として、この箇所をあげていました。その時の私が、この言葉をきちんと理解していたとは思えませんが、この言葉を聞く度に感じていた安心感、温かさは、今でも思い出すことができます。今、自分の惨めさ、情けなさに失望して、自分にもイエスにも心を閉ざしてしまいそうになる時、このみ言葉が、わたしを救い出してくれます。    6月3日生まれのシスターHより


5月生まれのシスターから

イエスは、シモン・ペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です。」と言った。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です。」と言った。三度目も「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」
                            ヨハネ21章15、16節


 ずいぶん前にどこかで、このみ言葉の「愛」ということについて聞いたことがある。日本語訳では同じ語がつかわれているが、原文では区別されていると。しかし、その時のことは他には何も覚えていない。
 最近ミサの中で、この箇所が朗読された。説教された方は「神の愛で愛することは、人間にはできない。それは無理だ。イエスは三度目には、言葉を変えて問われた」と。イエスに向き合っているペトロの姿が浮かんでくる。私の心は三度目には言葉を変えてペトロに問われたイエスに、強く打たれた。もしペトロと同じように私に問いかけたなら、イエスの限りなくやさしい圧倒的な愛にたじろぎながら、小さな声でペトロと同じように答えるだろうか。
                        5月15日生れのシスターSより