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日々の祈りと活動

シスターたちのつぶやき、祈りや活動の分かち合いをしていくコーナーです。

 
 私たち台湾の愛徳カルメル会は、
 宜蘭県にあるスワオカトリック教会のすぐそばにあります。
 今年のクリスマスは、大変工夫されたものでしたので、
 皆様にご紹介いたします。
 


まずミサがあり、その後幼稚園の園児によるクリスマスの歌とダンス。
そして、子どもと大人の信徒たちによる聖劇がありました。



   
     今年の聖劇は、例年にないもので、皆を「あっ」と驚かせました。
  台湾でも有名で伝統的な「歌仔戯」(歌仔戯:台湾オペラ)で聖劇を演じました。


「歌仔戯」は台湾で生まれ育った独特なものですから、みな台湾語でした。七言一句、合計四句の歌詞で歌われ、非常に台湾の味わいがありました。


 



  この聖劇は、一か月前から準備をし、
  仕事の後練習して出来上がったものです。
  信徒たちのこの努力と一致によって、
  更に深い愛と喜びに満ちたクリスマスでした。



クリスマスを迎える待降節に入りました。
すべての人に平和、すべての国に平和と望まれている神様が、御子をこの世にお遣わしになりました。
幼子となって到来した神の子イエスを、愛と喜びをもって迎えましょう。
巷の賑わいもクリスマスの喜びを人々に与える一つのよすがですが、今年は心を整えて、クリスマスを迎えてみませんか?
                                        


   次の言葉を味わってみてください。

「魂の美しさをみがきましょう」
  すべてにの人に美しさがあります。
  その美しさは 
   人とは比べられないものです。
   人と比べられるものは、
   いずれ、時と共に朽ち果ててしまうものです。
  あなたには、
   計り知れないほどの美しさがある。
   時と共に朽ち果てることのないものです。
  それは魂の美しさです。
   魂の美しさは目には見えません。
   けれども、周りの人は感じるのです。
   その崇高な美しさに感じ入るのです。
   魂の美しさをみがきましょう。
   魂の美しさは朽ち果てることはありません。
          ー幸せを見つける魔法の言葉よりー

皆さま、素敵なクリスマスをお迎えください。  本部修道院一同


秋の修道院

11月1日諸聖人の祝日の前晩、私たちは「自分の頂いた聖人について」というテーマで準備し、分かち合いました。あらためて、自分の頂いた聖人について考えることが出来ました。聖人についてきくことは、生き方、信仰において富まされます。
11月16日姉妹の移動があるので、歓送迎会をかねて、京都鞍馬寺、詩仙堂へ。顔が赤くなるほどの紅葉には少し早かったとはいえ、庭園、道中の山々の美しい紅葉に満喫しました。それぞれが口にこそ出さなかったにしても、この美しさの根源である美なる神様の偉大さを感じ、感謝の一日となりました。         門真共同体より


永遠の安息を信じて

 11月はカトリック教会では「死者の月」とされています。松戸教会の前にある桜の木が美しく紅葉し、葉を落とす様子を眺めていると、少し物悲しい気持ちになり、11月が亡くなった方のために特別に祈る月に選ばれたのもわかる気がします。亡くなった方たちは、神様のみもとで安らかに憩っていることを信じていますが、やはり死という別れは悲しく辛いものです。特に、突然の死は誰にとっても受け入れがたく信じられないことでしょう。
 今日、東京教区では「自死された方々のために捧げる追悼ミサ」が行われ、一緒に祈りました。カテドラルの受付では亡くなられた方への祈りを奉納の時に捧げて下さるということで、カードに知っている何人かの自死の方の名前とお祈りのメッセージを書きました。それだけでも、一人ひとりの魂のために祈っていただけるのだと思い慰められました。お聖堂はほとんどの方が喪服に近い服装で静けさに満ちていて、私もその静けさと祈りの中に自分が溶け込んでいくような気持ちで、すべての自死された方々のため、亡くなった親友のため、教会の知り合いのため、そして遺された家族をはじめ、心に悲しみと後悔、表現できない思いを抱いているすべての人に思いを寄せ祈りました。
 遺された者の深い悲しみがいえるには時間がかかることでしょう。でも、いつくしみ深い神様が、彼らが自死を選ばざるを得なかったくらい苦しかったことを理解しないはずがありません。絶対天国の門を開いて、そのみもとに引き寄せてくださっているはずです。生きている私は、それを信じて祈り続けたいと思います。カテドラルの祭壇に差し込む光は親友からのメッセージのようで、私たちは再会を約束しました。
 秋が深まり冬の足音が聞こえてきそうなこの時期、普段は忙しい生活に流されて、思い出すことの少ない私たちの先祖、恩人、歴史上の先輩たちを思い起こし、静かに語り合う良い季節なのではないでしょうか?


鶴島への旅


10月14日、空はどこまでも青く、これ以上望めないほどの秋晴れに恵まれた。日生港に着いたのは出発の30分以上前であったが、もう桟橋には「カトリック岡山教会鶴島巡礼の旅」という幟が立ち、委員の方々が乗船名簿をチェックしておられた。私たちは19人団体だったのでそこは通過しなかったが、何だか一安心して船に乗り込んだ。いよいよ出発。
 だんだんと島影は遠くなり30分弱で鶴島到着。さっそくオリエンテーションがあり、「これから殉教者のお墓のある小高い山に、ロザリオを唱えながら登ります」との浜口さんからの説明があった。230名の人々が歩きつつ、声を合わせて祈ることは無理であったが、それでも皆一生懸命ロザリオを繰りながら、この地に流刑の身となった信者の方々を偲びつつ、山上へ向かう。石ころだらけのゴツゴツした道、彼らは追い立てる役人の声を背に幾度この坂を上ったことだろう。


乏しい食事、過酷な労働、住居は座る場もないという劣悪な環境の中で2年間に何人か命をおとしている。資料によるとその命日は、8人中6人が寒い冬に時期である。ふと、戦争中に中国や韓国の人々を労働者として強制連行し、くる日もくる日も過酷な労働力にかりたてられた日本の過去の歴史を思い出した。一つ違うことは、キリシタン達が何のためにこの苦しみを受けているか知ってい          たことである。



 山上の白い十字架、ただ大きな石を置いただけの墓、私たちはここで、遠くは札幌教区から、日本全国から集まった230名の人々と共に6人の神父様方によるミサに与った。カトリック教会の素晴らしさと信仰の種を播いてくださった殉教者の血を心から讃えた。西坂の丘や津和野のような輝かしさは何もないこの鶴島へ、何年も前から毎年巡礼を企画してこられた岡山教会に心からの感謝を捧げる。信仰年の終わりに「信仰とは何か」という大きな問いかけをいただいた旅であった。